江戸紫(えどむらさき)
2024/02/09
江戸紫は、青みを帯びた紫を表現する色名です。
この時代、江戸が政治の中心になったとはいえ、帝のおられる京都と比べれば、まだまだ発展の余地がありました。
そんな土地のひとつ、武蔵野は紫草(むらさき)の群生地だったのです。
(現在は、絶滅危惧種に指定)
古代から貴重で高価なものとされた紫色は、この紫草の根っこから作られました。
そこで、江戸っ子たちは、『紫の本場は、江戸!』と自慢のタネにできたのです。
わび寂びのある伝統の古代紫を京紫とし、冴えた色合いの紫を今紫=江戸紫として売り出したのは、京都の染師、石川屋でした。(古代紫についてはコチラ)
折しも、江戸では歌舞伎が江戸庶民の娯楽として大流行の真っただ中。
役者たちが衣装に取り入れたことで、ますます人気を博したのでした。
特に人気だったのが『助六所縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)』
2代目 市川團十郎の初演以来、最も上演回数の多い演目となりました。
この主人公、花川戸助六の粋な男っぷりに、女性たちはキュンキュン。
頭に巻き付けた江戸紫の鉢巻きの人気はうなぎ登り・・・。
余談ですが、この鉢巻きの結び方にも決まりがあるとか。
助六が結ぶのは、右鉢巻き。これは、みなぎる若者のチカラの証。
ところが、同じ紫の鉢巻きの結び目を左にすると(左鉢巻き)、病を表現することになります。
この『助六所縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)』という話は、諸説あるものの、上方の侠客、万屋助六と島原の遊女、揚巻の心中を江戸風にアレンジしたというのが有力な説。
内容は、曽我五郎時致(そがのごろうときむね)が、源氏の宝刀、友切丸(ともきりまる)を探し出すため、侠客、花川戸の助六(はなかわどのすけろく)として吉原に出入りしているうちに、花魁の揚巻(あげまき)と恋仲になります。
揚巻が嫌う客、髭の意休(いきゅう)が、実は助六にとっての親の仇であり、探している刀を持っていると知り、周りの協力を得て、奪い返すといった物語です。
お寿司売り場でよく見かける『助六寿司』は、この歌舞伎の演目をもとに名付けられました。
「揚巻」は油揚げを使ったいなり寿司。巻きずしで、鉢巻きを表し、このセットが『助六』。
成田屋の十八番となったこの演目の人気ぶりが、今に続いているといったところですね。
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