山葵色(わさびいろ)
2022/07/23
山葵色(わさびいろ)
わさび・・・それは、和食の陰の立役者といっても過言ではないかもしれません。
ツーンと鼻に抜けるあの辛みとさわやかな香りは、お刺身やお寿司には欠かせない薬味ですね。
わさびを「山葵」と書くようになったのは、平安時代と言われます。
実は、飛鳥時代に書かれた木簡に「委佐俾三升(わさびさんしょう)」の文字があり、この頃にはすでに薬草として用いられていたようです。
山葵が、水のきれいなところでしか育たない、というのは、今や誰もが知る所ですが、そういう場所を選んで栽培するようになったのは、江戸時代です。
山葵の需要が増えたのには、ワケがあります。
その頃、江戸でブームとなった「にぎりずし」に大いに関係するのです。
江戸時代より以前は、さかなをご飯と塩で発酵させた「熟れずし(なれずし)」が主流でした。
滋賀県の名物「鮒ずし」は、今に残る熟れずしの代表格です。
江戸時代に入り、高貴な人への献上物だった「すし」が庶民の口に入るようになります。
それが、今も馴染みのある「箱寿司」「棒寿司」「巻きずし」と言ったもので、ご飯にお酢と塩で味をつけた「早ずし」と言われるものでした。
このお酢と塩で味付けした握り飯に、江戸前で獲れた新鮮な魚介を載せた「にぎりずし」が生まれたのは、文化・文政年間(1804-1830)だと言われています。
その頃の江戸では、働く人が簡単に食事を取れる「屋台」が人気。
ここで出されたものが、今のにぎりずしのルーツとされています。
当時は、今のように冷凍技術もなければ、冷蔵庫もない時代。
さかなの生臭みを消すと同時に、食中毒の予防にも「山葵」が役に立つということは、経験から学んだことでしょう。
今では、研究によって、肝臓の解毒代謝酵素の活性を上昇させる作用があり、発がん物質などを無毒の物質に変えることなどもわかっています。
そんな風にして、江戸時代から身近なものとして親しまれてきた「山葵」
色として取り入れられてきたのは、やはり江戸時代からです。
今も、落ち着いた着物の色としてよく見かけます。
着物を着て歩いた時に、足さばきの加減で、ちらりと見える八掛にもよく使われる色です。
▼山葵色は、こんな色▼
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